鯉の滝登り

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星野源 - 創造

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本日2/17、星野源の最新曲「創造」が配信開始となった。任天堂スーパーマリオブラザーズ35周年テーマソングとして書き下ろされたこの楽曲は既にCMで一部分が流れていたが、遂にフルサイズが解禁となった。

2020年は「うちで踊ろう」が一大ムーブメントとなったが、それ以外はどちらかと言えば俳優業に注力していた印象がある。シングルボックスを味わいつつも久々の新曲リリース、本当に楽しみにしていた。どんな曲かな、なんて想像はいつも遥かに超えてくるのだけど。

 

 

 

 

星野源×任天堂

メロディや歌詞に任天堂マリオシリーズへのリスペクトが凝縮されている。ゲームキューブを起動したときに画面でキューブがコロコロする時のメロディ、レベルアップやファイアボールの音、ゲームのBGM等、多くの人が聞き覚えのあるゲーム音が飛び交う。歌詞にも"直接"、"枯れた技術の水平思考"、"独創"(「独」を「いち」と読むセンスに痺れる)、"花札"...任天堂を思わせるワードに関連したフレーズが次々と出現する。

 

この曲を聴いていると、ゲームソフトを買ってもらった時の高揚感や、起動する時の嬉しすぎて泣きそうになる感覚、30分(我が家ではゲームは1日30分までと決められていた)で目標達成するための思考回路...色んな感覚が自分の記憶の中から鮮明に湧き上がってくる。音にまつわる記憶って凄いな、と思いつつ、マリオシリーズサウンド達にも敬意。余談だけどマリオパーティ2のバトルゲームが始まるときの音楽が好きなんですよね。

 

 

星野源×日本

日本が誇る任天堂に曲を提供できる星野源、シンプルに強い。ドラえもんのときもそうだが日本発の素晴らしいものを正しく楽しく楽曲に抽出していて、日本人であることに元気や自信を貰える。

晦日に画面の向こうから「にっぽ〜ん!」と呼び掛けるのに相応しい人物だ。日本的な美しいもの全てに曲書いてほしいくらい。

 

楽しくなりたいから彼の楽曲を聴くんじゃなくて、道標が欲しくて聴いてるのかもしれない。内在的に存在する「日本人的な自信のなさ」に一石投じて欲しいのかも。

無理にアゲアゲじゃなくて、ちゃんと暗いのもいい。暗闇から急に眩しくなったら目がチカチカしちゃうからね。

 

 

星野源×外れ者

《非常識な提案》と《非常識の提案》に泣きそうになってしまった。生み出す瞬間の訝しがられる怖さと、認められる瞬間の誇らしさ。1字の使い分けの上手さよ。

そういえば最近"Non Stop"の《君食べることで》は「君を」なのか「君が」なのか言及しないのエロいな、などと考えていたところだ。

 

《あぶれては はみ出した 世をずらせば真ん中》というメッセージが筆者含め多くの"外れ者"に伝わればいいなと思う。コミュニティの真ん中になれない自分は、真ん中になれるコミュニティをつくればいい。なんだかわくわくしてきた。アーティストのように世の中を動かすような「創造」じゃなくたって、自分の世界を動かせるなら小さなことでもいいよね。それが結果的に誰かの為になったら素敵だな。

 

星野源は今までも人は一人、二つは一つになれないというようなことを歌ってきたが、「創造」することはその前提の上で人と繋がるための手段なのだと感じた。無いなら作る。そう言えばQuizKnockのふくらPが「使う側より作る側が強いの。世の中っていうのはそういうもん」って仰ってたな...

 

 

星野源×生

実体験として《死の淵から帰った》人間が「生きること」を歌うのは物凄く重みがあるのだが、生き返された命が遊ぶことに生きる意味を見出すのは本当に鳥肌が立つ。

これまでも生きなくちゃ、とは思っていたけど、生きるのはただ死なないことではないんだと(当たり前かもしれないが)気付かされた。生きることは生み出すことなんだろうか。生み出す行為そのものが遊びなのかもしれない。えー、人生ってなんか楽しそうじゃん。

 

 

 

ソロ活動10周年を迎え、40歳になった星野源

今後の彼の更なる"ものづくり"に、心も体も踊らされていたい。

 

 

 

 

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